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トルシエ監督ありがとう

2002年6月28日〜7月10日

宇佐美 保

 先ずは、「トルシエ監督ありがとう!」と大書致したく存じます。

今回のW杯において、1次リーグを1位で突破できた際には、「トルシエ監督へ国民栄誉賞」などとの見出しが新聞などに躍りました。

そして、W杯まで、トルシエ監督を散々非難し続けてきたサッカー関係者批評家は、自らの不明をわびたり、トルシエ監督に感謝の気持ちを表すこともなく、口をつぐみました。

でも、そんな中で驚いた発言は、セルジオ越後氏の「私が、今まで、苦言を呈してきたことが結実した……」でした。

そして、「選手達の自主性の下に、我々が今まで批難し続けて来たトルシエ監督即ちフラット3を卒業したことが勝因である……」

 

そして、更に吃驚した事は、決勝トーナメント初戦のトルコ戦に敗退し、一方、韓国がヒデインク監督もとに勝ち進むと、マスコミは挙って、「敗因はトルシエ監督の作戦ミス……」「ヒデインク監督は、W杯で4位までいった実績がある監督で、W杯の戦い方を知っているが、現役としての実績も監督としての実績もさしたるものがないトルシエ監督はヒデインク監督に太刀打ちできない小物で、W杯の戦い方を知らないから、ヒデインク監督のようにどんどんFWを投入出来なかったのだ云々」を書き立てています。

 

 Jリーグを立ち上げようとした際、「日本には、今まで、Jリーグ等という経験も実績もないから、駄目だ!」との反対があったが、「“経験も実績もないから”との反対の声が強かった、しかし、実行しなければ、100年経とうが200年経っても、“経験、実績”は、生まれてこない。それでは、いつまで経っても出来ないことになる。そこで、“経験も実績もないから”との反対の声を無視して、強引にJリーグを立ち上げた」旨を、川渕チェアマン(だったかしら?)がテレビで語っておられた記憶があります。

 

「実績や経験を金科玉条とする」のは、日本の悪弊です。

(戦後の日本の驚異的な復興は、確かに「アメリカの経験と実績」を其の儘日本に移籍して実現できました。でもこの“経験と実績” には“アメリカの”が不可欠だったのです。

これからの日本を築き上げるには、独自性が問われるのです。その独自性とは “日本の経験と実績”ではないのです。“経験と実績” に囚われていたら、日本の未来はないのです。今一度、Jリーグ立ち上げ時の意気込みを見習いましょう。)

この日本人にかけている、そして大事な独自性を、トルシエ監督から、この4年間、私は感じ続けていました。

 (サッカー関係者がどんなにトルシエ監督を非難し続けていても)

 

 第一に、トルシエ監督の選手の選考は、多くの日本人に驚きを与え続けてきました。

但し、そのトルシエ監督の選手の選考は常に彼の目を通しての評価でなされていました。

(この結果、今回は中村俊輔がW杯代表の選から漏れました。)

 

日本のサッカー界批評家マスコミは、“今回のW杯は、緒戦ベルギーに先制点を奪われた直後の鈴木隆行選手のゴールがなかったら日本はそのままずるずると敗退して行ったであろう。”と認識し、鈴木隆行を褒め称えています。

しかし、この鈴木隆行を選考したのはトルシエ監督です。

なのに、誰もこの点に触れません。

 日本の監督がトルシエ氏以外だったら、誰が“昨年10月のナイジェリア戦を最後にゴールが途絶えたままのFW鈴木隆行”を選考したでしょうか?

(このナイジェリア戦に、鈴木を抜擢したのもトルシエ監督でした。)

彼の選考理由をトルシエ監督は語っていませんが、記事を探りますと

いつの間にか体力的な強さを評価され(日本代表としての)出場機会が増えた……今季の鈴木は公式戦19試合で1点も決めていなかった。そんなFWの胸中は、どういうものなのか。「点が取れなくても、与えられた仕事をやるだけ。毎回、それだけ」。押しつぶされそうな初戦。トルシエ監督は、前しか見ない、この精神性を買ったのだろう。

とあります。

この選考を断行したトルシエ監督に、日本サッカー関係者批評家達は、何故敬意を表さないのでしょう。

 

 更には、ロシア戦で、中田浩二からのパスに巧みに反応して、後ろから走り込んでくる稲本へ右足のワンタッチで流して、稲本による貴重な1点を演出したFWの柳沢敦選手です。(これに対して、次のような記事もありました。)

 実は柳沢のプレーこそが、トルシエ・ジャパンの生命線だ。前線のFWは送られてきたボールを保持して、左右どちらかへ散らす。それを後ろから走り込んだ選手がシュートする。「FWはその仕事の繰り返し。やり続け、1本か2本をゴールに結びつけられるかどうか」。今年の代表戦では一度も得点していない。それでもトルシエ監督はチーム戦略を忠実に効果的にこなすセンスを認め、起用し続けた。

トルシエ監督以外だったら、柳沢を選考したでしょうか?

また、W杯の大事な試合に先発させたでしょうか?

それも、“点が取れない!取れない!”と非難し続けられている日本チームのFWに。

何しろ、彼は、今年になってから、W杯までは、まだ代表での得点がなく非難の声が続出していました。

 その上、W杯の前に左手甲を負傷さえしていたのです。

こんな彼をトルシエ監督は評価して出場させたのです。

誰がこのトルシエ采配を賞賛したのですか?

 

 そして、これらの劇的な得点を挙げた稲本潤一は、昨夏、海外移籍を果たしたイングランドのアーセナルに於いて出場機会を与えられていなかったのです。

トルシエ監督以外だったら“最近の経験と実績はなく試合勘を失った(?)”こんな彼を、代表チームに選出して、且つ又先発させたでしょうか?

(この目の覚めるようなゴールに対して、次の記事が書かれていました。)

一つ先のパスを予測しながら組み立てる連係プレーは、トルシエ監督がずっと強調してきた戦術だ。厳しい試合のなかで何度も繰り返してきたプレーだから、落ち着いて決められた。

 

 何故トルシエ監督を賞賛しないのですか?

 

 更には、これらの若い3人に加えて、今回活躍した選手たちは、就任当初からトルシエ監督が「経験実績にすがり付く」日本人に反対をされつつ育て上げてきた選手達ではありませんか?

この点に関して、日刊スポーツの記事の一部を次に抜粋します。

トルシエ監督も大胆に若手を起用した。98年10月、アジア大会に21歳以下のチームで参加した。2次リーグ敗退という結果より経験を重視した。99年には五輪代表のさらに下の世代のユース代表監督も引き受けた。02年の収穫を見据え、小野や稲本ら当時の10代の可能性ある世代に自分の戦術や考え方を植え付けるつもりだった。

 強引なやり方に批判も噴出した。だがワールドユース選手権準優勝、シドニー五輪決勝トーナメント進出と若い世代で結果を出した。その一方で、A代表の強化にまでは手が回らなかった。南米選手権1次リーグでの敗退をはじめ、結果が出なかった。「A代表で勝てなければ、W杯は勝てない」。ある協会幹部は漏らした。解任騒動にまで発展した

 しかし妥協はしなかった。逆に世代交代に拍車をかけた。井原や相馬ら、98年W杯の主力だった経験豊富なベテランを容赦なく切った。「ベテランの経験が必要になる」という周囲の言葉にも、耳を傾けることはなかった。この1年間は平均年齢25歳という若いチーム構成で欧州を渡り歩き、強化を続けてきた。世界と対峙(たいじ)しても動じない、強い心と肉体を身につけた

 成果はW杯で出た。若さが爆発した。方針に間違いはなかった。決勝トーナメント1回戦のトルコ戦では経験不足も露呈した。先制され、敗れた。しかし最後まで前を向き戦った。平均年齢25歳のチームは4年後に成熟期を迎える。トルシエ監督が4年間かけ育てた若者が、大舞台での経験を手にし、さらに大きな力を発揮するはずだ

(下線は私が施しました)

 

 こんなにも周囲の反対を押し切って今の日本代表を築き上げたトルシエ監督を、何故賞賛しないのです。

このトルシエ監督の若手中心のフル代表が、2000年のキリン杯で好成績を収めるや、横浜国際競技場に「トルシエ・ニッポン」コールが響き渡り、“見たか釜本!”との釜本批判の声が上がり、トルシエ監督支持の歓声が沸きあがったのではありませんか?)

 

 なのに、トルシエ監督の成果を朝日新聞(6月28日)で沢木耕太郎氏は下記の抜粋のように「運」の一言で片付けてしまうのです。

 トルシエが就任した当時、彼がユースからフル代表までのすべてを4年間も監督することになるとはほとんど思われていなかった。多くの人が、とりあえずのことと考えていた。4年という時間を勝ち取ったのはトルシエの運の強さである何より彼が幸運だったのは、小野や稲本を始めとする「黄金世代」と呼ばれる若手の有望選手が豊富に手に入ったことだ。

(以下は、主に、朝日新聞で沢木耕太郎氏の記事を抜粋しながら話を進めましょう。)

 

 賞賛の声どころか、トルコ戦の敗戦の後は、トルシエ監督への非難の嵐が巻き起こっています。

(何しろ、テレビ中継の解説者は、トルシエ監督のFWの補充が遅いと喚き続けていたのですから、多くの人たちはこの声に洗脳されてしまったことでしょう。)

先ずは、6月29日の沢木氏の朝日新聞の記事を抜粋します。

 日本代表が1次リーグを突破できた最大のポイントは、ベルギー戦における鈴木隆行の同点ゴールにあった。……

 優れた技量を持っていた日本代表にとって、結果を出すために必要なものは「核」と「自信」だった。中田英寿が「核」になることを引き受けた。……

 決勝トーナメントは、彼らの力を世界に披露する格好の場になりうるはずだった。だが、その1戦目でトルコに敗れてしまった……

 敗北の大きな理由はトルシエの「ゆらぎ」にあったと私には思える

 かつて日本の代表監督を務めたハンス・オフトは優れた指導者だったが、危機的な状況に見舞われると目を閉じてしまうようなところがあったという。トルシエにもそれと似た「小心さ」があった。彼が怒鳴り散らすときはパニックに陥っているときだ、という共通認識が選手たちの間にもあったくらいだ。

 チュニジアに勝ち、1次リーグを1位で突破したとき、トルシエは最上の結果を残せたことの喜びと、未知の世界である決勝トーナメントへの不安で一種のパニックに陥った。それが記者会見場で、日本のメディアに対する「積年の恨み」を述べるというような態度につながった。

 彼は決勝トーナメントを前にして不安を増していった。選手たちは1次リーグ突破で満足してしまったのではないか。もしそうだとすれば、その「ゆるみ」は正さなくてはならない。トルシエのその思い込みが、中田英寿や小野伸二に対する無意味な批判をさせることにもなった。だが、もしかしたら、1次リーグ突破で最も満足してしまっていたのはトルシエ自身だったかもしれない

 トルシエの「ゆらぎ」が端的に表れたのは、先発メンバーの起用法だったと思われる。第2戦、第3戦と成功してきたフォーメーションを大きく変えてしまったのだ。

 丁半博打(ばくち)に、勝ち続けているときは賭けている目を変えるなという鉄則がある。サッカーの世界にも似たような言い方があると聞いている。だが、トルシエは「目」を動かしてしまった。それにはいくつかの理由があったのだろう。

(下線処理は私が施しました)

 

 何故こんないい加減な記事が大新聞に掲載されるのでしょうか?

(丁半博打(ばくち)を例にとるなどはまったくあきれてしまいますがそれはさておきまして)

沢木氏は、「フライデー(7/12)」に掲載された“トルシエ監督インタビュー全15時間”をご覧になったら如何ですか?

以下にその一部を抜粋いたします。

 トルシエ監督は決勝トーナメントのトルコ戦で、スターティングメンバーを変え、論議を呼んだ。が、試合前に、そのことは示唆していた。

 「日本チームは決勝トーナメントに進出し、満足してしまった。このまま同じメンバーで戦うことは、論理的で、簡単なこと。でもトルコ戦は別のエネルギー、別の精神力に頼ってみようと思った。決勝トーナメント進出に貢献した選手に特権はないからだ」

 さらにトルシエ監督は、トルコチームの特徴を分析し、それによってチームを再編成している。

 「選手の入れ替えは、トルコチームのサッカーを見越してのことだ。トルコ相手には、高い位置でゲームを進めなければならない。とはいえ、ゴールを焦ってもいけなかった。そこでボールをキープすることのできる三都主(アレサンドロ)を起用した。柳沢と鈴木(隆行)をもつと攻撃的な選手に交替することにした。

勝ったチームをいつもそのまま残すのはよくないこと。そうしていれば、10年も同じチームで試合をすることになるだろう。ただ、残念なことに、前半12分に入れられた1点が運命の分かれ目だった。

この時、すぐに二人のアタッカー(三都主と西澤明訓)を交替させ、鈴木と市川(大祐)を投入すべきだった。唯一悔やんでいることは、交替をハーフタイムまで待ってしまったことだ」

 

 このトルシエ監督発言を裏付けるのが、チュニジア戦後の「これで“開催国として最低限の目標、使命を果たせた”ので、これからの試合は、楽しんでプレーしたい。」旨を中田英寿は発言しているのです。

(私は、テレビでこの中田英寿発言を聞き吃驚しました。そして、これで日本チームの勝ちはなくなったと思いました。)

 

 中田英寿も言い分は、「何も日本国民のためにプレーをしているのではなく、自分の為にプレーしているのだから、これからは、日本国民からの余計なプレッシャーを受けずに、楽しんでプレーしたいのだ。」という事なのでしょうが、如何なものでしょうか?

 

 日本のW杯出場23選手選考時のトルシエ監督のコメントは、

今回、選ばれなかった選手の実力が選ばれた選手の実力に劣っているのではない、従って、選ばれた選手は、選ばれなかった選手への敬意を込めて試合に臨んで欲しい。

との旨を発言していたと思います。

(何も、私は、日本人の名誉のために全力を出せとは言いません。

しかし、私は、このトルシエ監督のコメントに敬意を払っています。)

 

 少なくとも、中田英寿は、日本国民のため云々の前に、選ばれなかった彼の同僚(中田が出ないなら、中村俊輔が出場できたでしょう)のために、その後の試合に全力を尽くして欲しいと思いました。

 

 試合を楽しんだか楽しまなかったかは、試合を行った後の結果ではないでしょうか?

この結果(プレーを楽しんで行えた)を得られるように試合に全力を打ち込むのではないのでしょうか?

 

 大リーグの野茂投手は、“プレーを楽しみたい。”とよく言いますが、彼が投げる試合は、打撃陣が不調に陥り、点が取れずに、いくら野茂投手が相手の得点を抑えても勝ち投手になれません。

あまりに野茂投手のコントロールが悪く、又、投球のリズムが悪い為、守備についている同僚は、プレーを楽しめなくなり、彼らの打撃が不振に陥ります。

あらゆる球種に対して、全て第1級の評価を受け、且つ、絶妙のコントロールを有する「大リーグ最高の右腕」P・マルチネス投手が“プレーを楽しみたい。”と発言するなら、納得いたします。

少なくとも、常に上を目指すイチロー選手がこのような発言をしたとの記憶が私にはありません。

 

中田英寿手は単なるプレーヤーとしたら、トルシエ監督より格が上でしょう。

しかし、私には、中田は、人間的にはまだまだ発展途上段階と見えます。

(かって言われた、彼のキラーパス等は、人間性の未熟さの端的な現れでしょう。私たちは今回ベッカムの受け手を思いやるパスを知ってしまったのです。

それに、オランダリーグでの小野のパスの素晴らしさも見ていました。)

ところが、どうもマスコミは、トルシエ監督を非難しても、中田選手を非難しません。

私の感覚がおかしいのでしょうか?

 

 もう何年も前に、テレビのプロ野球ニュースで、司会の慶応大学出身の元プロ野球選手佐々木信也氏は、番組に出席した多くの野球評論家たちに向かって、次のような驚くべき(その世界では当たり前の?)発言をしました。

 では、これから各球団の戦力分析を披露して下さい。但し、余り辛らつな発言は、これからの(その球団への)取材に差し障りが御座いましょうから、その辺はまあ適当で結構でございます。

 私は唖然としてしまいました。

 

 多分、中田英寿を批判すれば、その後は彼の取材が出来なくなるので、彼への批判は極力避けようとの配慮が働いているのでしょうか?

でないとしたら、マスコミの方はよほど鈍感な方々なのでしょうか?

如何ですか?

(私は、中田選手よりも、イチロー選手を尊敬しています。

そして、戸田和幸のW杯後の次のコメントは、このトルシエ監督のW杯出場23選手選考時の発言を、(少なくともトルコ戦までは)チーム全体で実行していた事を納得させてくれます。)

23人だけじゃない。いままで代表にかかわった選手とか、すべての人を含めてこの雰囲気を作ってきたと思うし、僕は最後にたまたま残っただけなんです。やっぱりチームのためにという意識が全員にあったから、こういうチームになっただろうし、みんなに感謝している。誇りにも思う。またこういう舞台で、みんなで一緒にやりたいなと思う。……

 

何故、沢木氏をはじめマスコミの方々等は、ロシア戦後の中田英寿発言を無視するのですか?

沢木氏も称える「チームの核」がこのようなことを一度口にしてしまっては、韓国チームと同様な戦いが出来たでしょうか?

(少なくも、トルコに敗れたその夜の韓国チームの戦いをテレビで見た後に中田英寿は大いに反省したと思いますし、すべきです。しかし、後の祭りです。)

 

 なのに、沢木氏は、626日の朝日新聞に次のようにも書いているのです。

 韓国がどれほど強いのか、誰にもよくわかっていなかったと思われる。もしかしたら、韓国の選手自身にもわかっていなかったかもしれない。

……

  韓国は強い。だが、その強さはどこから来るものだったのか。ヒディンク監督の用兵の妙にあったのか。苦しい戦いを経てきたという勝ち上がり方にあったのか。あるいは、肉体の強化策が成功したのか。たぶん、そのすべてであるだろう。しかし、私にはそれよりも重要なものがあったという気がしてならない。

 ……この大会で聞いた最も美しい言葉ということになると、それは韓国の安貞桓(アン・ジョンファン)がイタリア戦の翌日に述べた一言ではないかと思われる。

 安貞桓は、……イタリア戦で、開始早々、決定的なPKのチャンスにゴールを決められず、逆にイタリアに1点を取られ、それを追わなくてはならないという苦しい状況を作ってしまった。……

 「あのPKのことは思い出したくありません」

 そして、さらにこう付け加えた。

  プレーをしながら心の中でずっと泣いていました、と。

 ……

 現代のどこの国の選手が、失敗したからといって試合中ずっと「心の中で泣きながら」プレーするだろうか。少なくとも、日本の選手が、自分のパスミスから点を奪われたとして、「しまった!」とは思うだろうが、試合中ずっと「心の中で泣きながら」プレーをするとは思えない。

 韓国は、致命的な失敗をした選手が「心の中で泣きながら」プレーをする国なのだ。それは首都の中心部に数十万人が集まり、雨にぬれながらも熱い声援を送るということと見合っている。そこからあの驚異的な後半の戦いが生まれるといってもよい。アグレッシブで粘り強い韓国伝統の戦い方を今回も支えたのはその「熱さ」だと。

 日本は「心の中で泣きながら」プレーをする選手を持っていない。もはや日本の選手には不可能なのだ。たとえ内部にたぎるものを持っていようと、それを体の外に表すこともなく言葉にすることもない。と同時に、日本には、雨の中、数十万人が一堂に会して熱い応援を送るということもない。つまり、それは日本の選手の「クールさ」と見合っており、選手たちだけに「熱さ」を求めるのは間違っているということなのだろう。

 ……私たち日本人が、多くの局面で「心の中で泣きながら」プレーすることがなくなっている、ということを意味してもいるのだが。

(下線処理は私が施しました)

 

 このように書く沢木氏は、何故中田英寿発言を取り上げずに、トルシエ監督非難に終始するのですか?

更に沢木氏に吃驚するのは、フランスでのW杯で、足を骨折しながらも、グランドを走り回っていた中山ゴンの存在を無視している事です。

(私は、中山ゴンのプレーに常に韓国選手と同じ心を感じていました。スタンドから中山ゴンに声援を送るファンも同じ心を感じていたはずです。)

トルシエ監督はこの中山ゴンの心を代表チームに注ぎ込むために彼を選んだのではありませんか?

(それに、トルコ戦の後トルシエ監督に肩を抱きかかえられてピッチで大泣きしていた市川大祐の姿が目に浮かんできます。)

このような選考をしたトルシエ監督を沢木氏はどう評価しているのですか?

 

 なのに、中田英寿は、01年6月のコンフェデレ−ションズカップの決勝戦を前に、トルシエ監督の「決勝も出てくれるか」との懇願を無視してローマへ帰っているのです。

そして、中田英寿は準決勝の直前に自分のホームページに、

 「公式大会で日本が優勝するチャンスであり、それが日本のサッカーにとって大事なことだとは、痛いほど理解しています。でも僕にとっては、それと同じくらい、いやもしかしたらそれ以上に、セリエAで優勝することは大切なのです。僕が日本人として、セリエAの優勝の瞬間にグラウンドに立つことは、この先の日本のサッカーのためにも、決して無駄ではないと思っています」

 と書いたそうです。

一方、 トルシエはフランスに敗れて準優勝となった大会後に

「これが欧州なら、中田英を二度と代表に呼ばない。呼べばほかの選手がボイコットするだろう。大事な試合を放って、自分だけの名誉を優先させるなんてエゴイストも甚だしい」

と語ったとの事です。

沢木氏はじめ日本の方々、どちらの言い分により納得しますか。

 

そして、このような中田英寿の態度は、韓国に於いては、絶対に許されないでしょう。

(国賊扱いとなるのではありませんか?)

 

中田英寿贔屓の皆様も、次の事実をよく頭に入れてください。

今回のW杯では、アイルランドのマッカーシー監督は、スター選手ロイ・キーンを監督を批判したかどでチームから離脱させ、代わりに呼んだロビー・キーンがご存知の大活躍をしました。

また、ブラジルのフェリペ監督は、自己中心的との理由で、ブラジル全国民的な反対を押し切って、スター選手のFWロマーリオを切って、優勝までブラジルを導いてきました。

 

 そして、トルシエ監督は、稲本に対して先の「フライデー」のなかで、次のように語っています。

「私は彼を気に入っている。稲本の長所は以前からよく知っているので、W杯での活躍はまったく驚いていない。彼は世界のトップチームに入れるスケールを持っている。(イングランドの強豪)アーセナルを離れて、イタリアかスペインの一流クラブに入ってもレギュラーとしてプレーできると思う。私は彼に、つねに自分でよく考えろと言っているんだ」

この大好きな稲本をトルシエ監督は、2度も途中交代させています。

それは、ベルギー、ロシア戦と2度にわたってゴールを成功させえたために、自分が世界のスターへの階段を昇り始めたとの意識が芽生え、更にその階段を登る為へのプレーを欲した為に彼の心に空白が生じてしまい、トルコ戦では小野、中田を交えてのフリーキックの際に、彼の出足が送れて、ボールをトルコ選手にさらわれたりしてしまったのです。

そして、この最愛の稲本をベンチに引っ込めることで、ピッチ全体の選手達へのチームプレーのサインを送ったのだと思います。

 

 沢木氏の次の見解(629日朝日新聞)は一体何なのでしょうか?

 トルシエは日頃から日本選手に足りないものは自立心と経験だと言い続けてきた。だから、海外でプレーすべきだと。しかし、実際に海外でプレーをし、自立心を高めたと思われる中田英寿に対する敵意は、彼が本当には選手たちの自立を望んでいなかったことを物語っている

 トルシエもまた、選手たちを「子供たち」と呼ぶ。しかも、「私の」というあからさまな所有格の代名詞までつけて。トルシエは彼の「子供たち」である選手が自立しつつあることを最後まで認めようとしなかった

 試合に臨んだ監督にとって最も重要なことは、選手たちに持てる力を十分に発揮させてやることだ。もしその監督が優れているなら、持てる力以上のものを発揮させてやれるかもしれない。だが、それには、選手たちの力を冷静に見極めながら、どこかで彼らを深く信じる心を持っていなくてはならない。恐らく、韓国の監督のヒディンクには、トルシエよりはるかに信じる能力があったのだ。

 日本代表は持てる力を出し切ることなく敗れてしまった。彼らの燃焼感のなさが見ている私たちにも伝播(でんぱ)した。あの宮城スタジアムでの燃焼感のなさは、「やませ」による冷たい雨のせいだけでなく、トルシエと選手たちとの乖離(かいり)にも原因があったのだ

 私は、夢のように、もし日本代表の監督がトルシエでなかったらと考える。それはヒディンクのように経験を積んだ監督だったらというのとは少し違う。経験や能力の有無より、4年の苦楽を共にした選手たちを信じ切れる監督であったらよかったのにと思うのだ。選手たちもその信頼に応え、体力の限り戦い、燃焼し尽くすことができていたらと思うからである。……

 何故、沢木氏は、「中田英寿に対する敵意は、彼が本当には選手たちの自立を望んでいなかったことを物語っている」と書くのでしょうか?

トルシエ監督は、先の「フライデー」のインタビュー中で、

……彼はパルマで非常に苦しい時期を経験したことで精神的にもタフになった。この経験は彼にとつて、いい勉強になったと思う。

それ以降、中田コンプレックスを持ち、すぐに家来になってしまう選手たちを、彼は統率した。チームをまとめようとする彼の行動に非常に満足している。以前の中田は、ひねくれて、がさつで、ぶっきらぼうで、技術的にも未完成だった。

しかし、いまの中田は、昼と夜ほどの変身を遂げた。心を解放し、チームを盛り上げるまでになった。いまの中田はジダンに匹敵するほどだ

 トルシエ監督は、中田の変貌ぶりをこう絶賛した。

 中田英寿に対して、トルシエ監督が敵意を抱いているとしたらこのような最大限の賛辞を彼に送りますか?

敵意を抱いているように見える人にこのような賛辞を送ることが「小心者」に出来ますか?

 

更に、日本外国特派員協会で記者会見2000年11月27日)して、日本に、欧州でプレーできる選手はいますか?の問いに、 トルシエ監督 は、次のように答えています。

……名前を挙げるのは難しいが、7人はトップレベルでプレーできる。日本人が外国でプレーするには文化、食事などに対応できるメンタルの強さが必要だ。技術、戦術の理解力、フィジカル、適応力、メンタリティーと、中田はすべての条件を満たしている唯一の選手。中村は技術は超一流だが、フィジカル的にまだ。稲本と高原はフィジカルは十分でも他の面で不足している。服部はフランスリーグのどこのクラブでもできる

と答えているのです。

このように選手たちを評価しているトルシエ監督を、何故沢木氏は“トルシエは彼の「子供たち」である選手が自立しつつあることを最後まで認めようとしなかった”といえるのですか?

 

 更に付け加えますと、先に抜粋しました沢木氏の次の見解が何故出てくるのでしょうか?

トルシエにもそれと似た「小心さ」があった。彼が怒鳴り散らすときはパニックに陥っているときだ、という共通認識が選手たちの間にもあったくらいだ。

 

 又、先日テレビ朝日のニュースステーションでは、キャスターの久米宏氏は、(沢木氏に感化されていて、)「日本チームは中田英寿を中心に動いていたので、トルシエ監督を完全に無視していた」との原質をゲストの戸田和幸から得ようと、変に、戸田ににじり寄っていました。

しかし、戸田和幸は、久米氏の思い通りのコメントは披露していませんでしたが“トルシエ監督にはもう2度と会いたくない”などとトルシエ監督大嫌い宣言をしているようでした。

更には、戸田和幸は、例のフラット3をベルギー戦後から選手たちで自発的に止めるように言い出した張本人でもあるのに、トルシエ監督は、先の「フライデー」で戸田和幸を次のように褒めています。

戸田(和幸)のこの1年間の成長も目覚ましい。私は、“ニュー戸田”と言っている。彼は髪を赤く染めているので、いつも“モン・プチィ・コック・ゴロワ”(“小さな雄鶏クン”、雄鶏「コック」はフランスのシンボルでもある)と呼んでいたんだ(笑)。戸田は貫禄があって、オーラがある。本当に個性のある選手だ。生まれついての統率力があり、メンバーに信頼されている。試合で彼がどれだけ攻撃的だったか思い出すといい。彼は一度つかんだら何があっても放さない男だ

ときには私がなだめる必要さえあった」

 そして、このトルシエ監督発言の信憑性を裏付ける事実は、結婚から26年、トルシエ監督を支えてきた愛妻のドミニク夫人が、戸田の背番号の「21」のユニフォームを着てスタンドで応援していたことです。

(沢木氏の言う「小心者」なら、“自分の大事なフラット3を蔑ろにする戸田の背番号など身に付けるな!”と奥さんをどやし付けるのではないでしょうか?)

 

更に、選手たちの自主性をトルシエ監督が重んじていた証拠には、DF森岡隆三の次の発言がW杯トルコ戦後の日本代表23選手の会見記録の中にあります。

大会期間中に、フラットスリーのラインを上げすぎないように修正したのは自分たちの考えだった。それもトルシエも受け入れてくれた。彼は規律の中にも自立を許容しているので、特にもめたということはない。魂が抜けちゃった。個人的にはけがで1試合しか出られず、悔しい。日本の組織サッカーは世界に引けを取らずやれたと思う。誇りを持っていい。

 

 なのに何故「トルシエは彼の「子供たち」である選手が自立しつつあることを最後まで認めようとしなかった」と沢木氏は書くのでしょうか?

 

 フランス大会からのベテランを排除して、ヒヨコの状態の彼らを周囲の反対を押し切って育ててきたトルシエ監督にとっては、この先、彼らがどんなに年を重ねても、彼らは、「私の可愛い子供たち」であり続けるのは当然ではありませんか?

 だからこそ、小野伸二は、次のように語ったのだと思います。

……トルシエ監督には、いろいろなことを教えてもらった。トルシエの4年間を振り返ると、たしかにつかみかかってきたこともあって、「今までと違うな」という感じはあった。……日本のサッカーの質や考え方も変わった。トルシエ監督にはいつか会ったら、成長した自分を見せたい。今大会は予選をしていないけど、本大会よりも厳しいと思う。次の(2006年)大会は大事。

 

そして、中田浩二は、

 トルシエには世界ユースからも含めて育ててもらったと思っている。ボランチだったのをサイドで使ってプレーの幅が広がった。新たな一面を引き出してくれたと思う。次の代表チームの監督は代わるが、プレッシングサッカーは世界に通用すると思う。自分の力はすべて出せた。もう世界の強国と戦う上で劣等感はない。日本は世界と互角以上にやれる。

 

更に、鈴木隆行 は、

…… トルシエ監督にはJリーグでは考えないような高いレベルのサッカーを教わった。W杯では自分が驚くほどの差はなかった。やれるという自信はついた。

 と語っているのです。

 

 そして、日刊スポーツの「検証トルシエ・ジャパン<2>(稲本のゴールへつながった 個性むき出し自己主張要求)」を沢木氏はご覧になりましたか?

トルシエ監督が小心者なら監督の意向を無視(?)して、フラット3破りを行い、監督への尊敬の念も少ないように受取られかねない戸田に対して、次のような評価を与えるでしょうか?

 真っ赤なモヒカンスタイルで荒々しく走る。激しいアタックでボールを奪う。MF戸田の個性むき出しのプレーは新たな日本代表の象徴だった。19日の会見でトルシエ監督は言った。「戸田のような選手の出現は2年前まで想像もしていなかった。誇りに思う」。

 98年10月、就任後初の合宿で若い選手の技術レベルの高さに驚いた。その一方で自己主張が欠落していることが気になった。指示は素直に受け入れる。規律は守る。しかし反発したり、自分をアピールする選手は1人もいなかった。

 監督には持論があった。「サッカーは60%の戦術、30%の個人能力、そして10%の運で成り立つ」。戦術を完ぺきに実践しても、最後は個人で打開する力がなければ勝てない。日本にはこの部分が決定的に欠けていた。世界で勝つには個人主義を前面に押し出させる必要があった

 99年2月、ユース代表のフランス合宿で異様な光景を見た。選手たちが赤信号で立ち止まった。車もこないのにだれ1人横断歩道を渡ろうとしない。意思のないロボットのようだった。性格の問題ではなかった。根源には個人より集団や規律を重視する日本の文化、教育システムがあった。

 トルシエ監督は地道に意識改革に取り組んだ。練習では選手を徹底して競わせた。0010月のアジア杯(レバノン)で宿舎のレストランを閉鎖して自分の意思で外食することを命じた。昨年10月の欧州遠征では「欧州クラブにアピールしろ」とあえてスタンドプレーを要求した。

 変化は次第に表れた。出場機会のなかった松田が「チームに戻してくれ」と訴えた。戸田は納得できない要求には徹底抗戦した。監督にとってはうれしい刺激だった。試合でも変わった。選手たちが自分の決断で状況を打開できるようになった。W杯の稲本のゴールはその象徴だった。

 98年フランス大会で金髪は中田英だけだった。今大会はほとんどの選手が髪形やスタイルにこだわった。稲本は言った。「少しでも世界にアピールしたい」。組織力だけではない。自己主張できるチームになった。だからこそ決勝トーナメント進出という偉業が達成できた。

 

 そして、ここに抜粋しましたように、それも次なる記事の抜粋から分かりますように当初から、トルシエ監督は、選手個人の意識改革に地道に取り組んでいたのです。

……ナイジェリアで行われた世界ユース選手権(99年4月)に於いては、大会期間中もバウチの孤児院を訪問し、ブルキナファソ合宿に続いて人間教育を受けた。小野も「こういう経験は初めてだが、日本でも積極的に取り組みたい」と感想を話した。大会中にサッカー以外の活動に触れるという発想は、過去の監督にはないものだった。

 だが、このような活動を通じて、若手選手に日本を代表して戦うことの誇りが生まれた。1次リーグ初戦こそカメルーンに苦杯を喫したが、その後は小野を中心とした攻撃陣が爆発し、連勝街道を突っ走った。決勝ではスペインに0―4で大敗したものの、大きな自信と同時に、日本サッカー史上に輝く世界大会準優勝を勝ち得たのだ。 

 また、沢木氏は、「日本代表は持てる力を出し切ることなく敗れてしまった。彼らの燃焼感のなさが見ている私たちにも伝播(でんぱ)した。あの宮城スタジアムでの燃焼感のなさは、「やませ」による冷たい雨のせいだけでなく、トルシエと選手たちとの乖離(かいり)にも原因があったのだ。」と書かれていますが、先の「フライデー」のトルシエ監督の「「日本チームは決勝トーナメントに進出し、満足してしまった。このまま同じメンバーで戦うことは、論理的で、簡単なこと。でもトルコ戦は別のエネルギー、別の精神力に頼ってみようと思った。」とのインタビューを沢木氏はどのように解釈するのですか?

そして、私がテレビで聞いた中田英寿の「1次リーグ突破という最低限の責任を果たしたのでこれからは楽しんでプレーをしたい」との発言をどのように解釈するのですか?

 

  安貞桓は、……イタリア戦で、開始早々、決定的なPKのチャンスにゴールを決められず、逆にイタリアに1点を取られ、それを追わなくてはならないという苦しい状況を作ってしまった。……

 現代のどこの国の選手が、失敗したからといって試合中ずっと「心の中で泣きながら」プレーするだろうか。少なくとも、日本の選手が、自分のパスミスから点を奪われたとして、「しまった!」とは思うだろうが、試合中ずっと「心の中で泣きながら」プレーをするとは思えない。……

 と書かれた沢木氏は、シドニーオリンピックでアメリカとのPK合戦で一人PKを外し日本チームのメダルの夢を打ち砕いた中田英寿は、何故その屈辱を晴らすべく、更には、チームメート(オリンピックとW杯とではほぼ同じメンバーなのですから)への償いの為には、中田英寿彼一人は、1次リーグ突破以上の目標を掲げて、韓国選手のように命がけでプレーに打ち込むべきだと何故書かないのですか?

(このオリンピックでの中田英寿のPK失敗に対して、トルシエ監督は“過去にはプラティニも、ジーコもPKを外した。だれかが外さないとPK戦は終わらない。それがPK戦のつらい現実だ。”と語っているのですから、中田英寿の失敗を責めてはいないのです。)

 

 中田のロシア戦後

……(W杯)初勝利というものは必ずあるもの。もちろん重要だが、そこで終わるわけでもないし、うまくやって次の試合でも勝てるようにしたい。前回の試合で勝ち越しをした後に点を取られたが、それについては今日修正できたと思う。……

と語っていますから、彼は“なあに、オリンピックでのメダル獲得(かってメキシコ大会では銅メダルをとっていますが)なんて必ずあるもの、又、W杯で8強、4強、決勝に進む事だって同じ……”と思っていたかもしれません。だとしたら、前述の“僕が日本人として、セリエAの優勝の瞬間にグラウンドに立つことは、この先の日本のサッカーのためにも、決して無駄ではないと思っています”発言は何だったのですか?

 中田流に言えば“日本人として、セリエAの優勝の瞬間にグラウンドに立つことは、私(中田英寿)が出来なくても、いずれ誰かが行うこと。”になると私は思います。

 けれども、チームメートにとっては、オリンピック、日本でのW杯参加などは一生に一度のチャンスだったのです。

そこで、彼らがメダルを取ったりすることは、彼らの一生には重要なことなのでしょう。

(“なあに、そんな偉業は、俺(中田英寿)の存在なくしては不可能な事”とでも思っているのでしょうか?前述しましたように、今回のアイルランドチーム、ブラジルチームは、監督の意向に逆らう主力選手を外した上で、善戦或いは優勝していることを思い起こしてください。)

 

 なのに、沢木氏は、何故中田英寿発言を取り上げずに、トルシエ監督非難に終始するのですか?

更に沢木氏に吃驚するのは、フランスでのW杯で、足を骨折しながらも、グランドを走り回っていた中山ゴンの存在を無視している事です。

(私は、中山ゴンのプレーに常に韓国選手と同じ心を感じていました。スタンドから中山ゴンに声援を送るファンも同じ心を感じていたはずです。)

トルシエ監督はこの中山ゴンの心を代表チームに注ぎ込むために彼を選んだのではありませんか?

(それに、トルコ戦の後トルシエ監督に肩を抱きかかえられてピッチで大泣きしていた市川大祐の姿が目に浮かんできます。)

このような選考をしたトルシエ監督を沢木氏はどう評価しているのですか?

 

“中田英寿や小野伸二に対する無意味な批判”をしたと沢木氏は書いていますが、無意味な批判でしょうか?

組織戦術を重視するトルシエ監督が、トルコ戦を前に、中田(英)と小野を名指しで「チユニジア戦のテレビ中継で、後半5分、日本のフリーキックのとき、中田と小野の姿が大写しになったが、二人は、どっちが蹴るかを56秒も話し合った。一体彼らはサッカーをやっているのか、それとも映画祭にでも出演しているつもりなのか。……」

と批判したのは当然ではありませんか?

  チュニジア戦へ向けての小野選手の発言には、

 今回もFKの時は中田さんと口ジャンケンしました。ベルギー戦で1回かな。でも今回は負けました。この前(ロシア戦前半)の外しちゃったFKは、僕が約束を破っただけで。本当は中田さんがけるはずだったんですが、そこを僕がけってああいう失敗をして……。

 とありますから、ジャンケンがなかなか決着がつかなかったのかもしれません。

(でも、長々としたジャンケンで攻撃のリズムを壊さず、折角のチャンス、中田は、又、小野は(ロシア戦の失敗に懲りず、中田英寿に遠慮せず)積極的に行くべきではなかったのでしょうか?)

韓国の選手たちに、このような悠長な場面がありましたか?

 

もちろん、中田英寿だけの責任ではないかもしれません。なにしろ、チュニジア戦後の宮本恒靖のコメントでは、

試合後にはバァーッと爆発して喜んでいました。また次の試合に向けて良い準備ができているところです。みんなロッカーで裸になって踊ってました。次の試合にまで間がないのでしっかりコンディションを戻さないといけない。予選リーグはまだ大丈夫でしたが、これから先は(間隔が)どんどん短くなってくると思うので、気をつけないといけないと思っています。

と語っているのですから、このように一度緩んでしまった気持ちを、どうやって引き締めることが出来るのでしょうか?

(この裸踊りを沢木氏はトルシエ監督が指令したとでも言うのですか?)

このような選手達の気の緩みの存在を、今回出番のなかったGKの川口能活は、週刊文春(更にこの川口発言は後で取り上げます)で次のように語っています。 

……選手達は、トルコに敗れた後「ずっと親善試合のようだった」とか「いまいち何かが足りなかった」「満足感が湧かない」と言っていたが、……

 

また、岡田前監督もテレビで、次のようなことを発言していた記憶があります。

ロシア戦後、選手たちに会って話を聞いていたりした感じでは、気のゆるみが感じられて心配だった。

 

ここで、戸田和幸のW杯後のコメントをじっくりご覧下さい。

 23人だけじゃない。いままで代表にかかわった選手とか、すべての人を含めてこの雰囲気を作ってきたと思うし、僕は最後にたまたま残っただけなんです。やっぱりチームのためにという意識が全員にあったから、こういうチームになっただろうし、みんなに感謝している。誇りにも思う。またこういう舞台で、みんなで一緒にやりたいなと思う。

……

 1試合1試合、最初の試合から「自分のすべてを出し尽くすんだ」という気持ちで毎試合戦ってきた結果が、ここまで来れた原因だと思います。正直、もっと上を目指しているというのが全員にありますし、悔しいという思いがあります。(ワールドカップで得たものは)終わったばかりなので、「これを得た」とかはっきりとは言えないんですけど、こんな大きな舞台での真剣勝負を僕は今までしたことがなかったし、一つひとつのプレーが自分の血となり肉となって、サッカー人生はまだ終わりではなく続きますし、これからも生きてくると思います

……

 スリル満点、シビれた。「こんなに疲れるものなのか」とか、「こんなに辛いものなのか」とか、「こんなに勝つのは大変なんだ」としみじみ感じた。でも、気持ちでは負けてないと感じた。自分がトライしようと思い描いたことはいろいろできたと思うので、そんなに落ち込むことはない。ひとつ手ごたえはつかんだと思う。

このコメントから、日本チームの全員が、(少なくともトルコ戦までは)Jリーグとはまるで異なる心持で戦っていた事が分かります。

 

 

そして、更に、トルシエ監督の選手強化策作戦に対しての不満が紙面を飾りますが、可笑しくはありませんか?

例えば、先に引用した「フライデー」の別のページには、「歴史を変えた名采配」としてヒデインク監督を次のように称え、トルシエ監督を非難しています。

……48年の歳月がかかっても1勝もできなかった韓国が、今大会だけでなんと4勝も上げた。

 明らかに別のチームに生まれ変わった理由は他でもない、ヒデインク監督である。洗練され、実績に裏付けされた采配は、大会を通じて冴え渡った。

 ……。これまで何度となく見せてきた4トツプの超攻撃的布陣である。……とてもじやないが、そんなフォーメーションが日本代表チームでは機能しないことは明らかだ。

グループリーグで敗退したフランスも、劣勢になるとFWを次々と投入したが、前線の選手同士の動きが重なるばかり。得点不足に悩んだ末の苦肉の策で、練習に裏打ちされたシステムではなかった。フランス国内では、当然のごとくルメール監督の手腕に非難が集まった。

 ヒディンクは違う。このフォーメーションは何度となく繰り返され、勝負どころで投入された前線の選手たちは活き活きとピッチを走り回った。これがイタリア戦での逆転劇を生み、スペイン戦では5人のFWガ同時にピッチに立ち、圧倒的に攻めつづけることができた。……

つまりヒデインクは、全選手が複数のポジションをこなせるように鍛え上げている。だから−回の選手交代で″玉突き人事〃のごとく選手のポジションが変わっていく。

規定の3回の交代を行うと、78人の選手が交代したかのような劇的な変化を起こさせる。イタリアもスペインもこの攪乱作戦に翻弄されていた」

 トルシ工・システムではせいぜい明神智和(24)が右サイドからボランチに移ったり、服部年宏(28)が左サイド、ポランチ、フラット3の左をこなせる程度だ。……

 

 しかし、先の日刊スポーツには、「検証トルシエ・ジャパン“小野と俊輔 組織に対する「意識の差」”」の記事の中で次のように記しています。

 トルシエ監督は選手に強く多様性を求めた。口ぐせのように「ポリバレンス(多様性)」と言い続けた。「現代サッカーでは、選手は1つのポジションにこだわってはいけない」。最終的に選ばれたメンバーを見てもGK、FW以外の選手は複数の位置をこなせる。DF宮本、MF中田英は結果的に同じ位置でプレーし続けたが、2人とも所属クラブではボランチを経験していた。

 W杯の交代枠は3人。負傷、アクシデントに備え、能力のある選手に多くを求めた。本番では明神がそれを形にした。前半右サイド、後半ボランチでプレーし、それぞれの役割を的確にこなした。

 多様性を追い求める姿勢を、指揮官は重視した。……

 「組織」を重視するトルシエ・ジャパンの象徴が「ポリバレンス」だった。中村がメンバーから外れた理由の1つは、そこにある。

 ただ監督が求めても選手がどこまでついて行けるかが問題です。

もしヒデインク監督の成果と比べてトルシエ監督を非難するなら、今回参加した全ての国の監督が非難されなくてはならないでしょうよ。

それに、中田英寿がFWの位置を占め、その後を小野が埋め、小野の後を順繰りに埋めて行けば良かったはずです。

単に、FWをどんどんつぎ込んでも、そのFWにボールが渡らなくてはなりません。

その為には、市川の突破力も、小野の正確なロングパスは欠かすことが出来なかったのではなかったのでしょうか?

私は、中田英寿がFWに上がって行けば良かったのだと思っています。

チュニジア戦で中田英寿がゴールを上げたときのように。

(トルシエ監督はこの点を期待していたのではないでしょうか?)

 

シドニーオリンピックで、中田英寿がPKを失敗して、日本チームがメダルを逃してしまった際に、「中田英寿は天才なのだから、天才にPKをさせたトルシエ監督のミス」との暴言を吐いた(過去にはプラティニも、ジーコも、更にはバッジョもPKを外した事実をどう解釈するのですか?)テリー伊藤氏でさえも、トルコ戦での日本選手の試合態度を、「まるでJリーグのようにたるんでいた」とテレビで発言していました。

しかしながら、トルコ戦に、三都主アレサンドロをFWとして先発させた事を、トルシエ監督作戦の失敗と大多数の方々は、非難されますが、その方々は誰一人として、その背景の日本チームの士気の低下を指摘された方は居られません。

 ただ一人、岡田前監督は、

1次リーグのトルシエ監督の采配(さいはい)は理屈をつけやすかったが、この日、先発をいじった理由は何だったのか。ベスト16に進んだことで選手が満足してしまい、積極的なプレーができないと判断したからなのか。トルシエ監督はこれまでもそういう選手起用をしてきたから。

 まあ、前半の三都主のFKが決まっていれば、起用が当たったことになる。違う手を打っていたら、どうなったかはだれにもわからない。

 

 私は、岡田全監督のこの見解に全面的に賛同しています。

三都主のFKが決まっていて、どうなっていたでしょうか?

この三都主のFKについて、三都主は次のように語っています。

 トルコ戦のFKは自分で「けらしてくれ」と言った。本当は伸二(小野)か英(中田英)がけるんですが、前半40分をすぎて、何となくいけるような気がして、自分で言いました。……

 当日の天気が晴れていたら、ボールはポールに跳ね返されることなく、ゴールネットを揺すっていたでしょう。

多分雨でボールと靴が濡れていて滑った為、通常通りにはボールにスピンがかからず、その分、ボールが逸れてしまったのかもしれません。

 

 そうなっていたら、先のフライデーでのトルシエ監督の反省(下記)は無くなります。

……残念なことに、前半12分に入れられた1点が運命の分かれ目だった。この時、すぐに二人のアタッカー(三都主と西澤明訓)を交替させ、鈴木と市川(大祐)を投入すべきだった。唯一悔やんでいることは、交替をハーフタイムまで待ってしまったことだ。

 

少なくとも、日本選手が韓国戦を見た後にトルコ戦に臨んでいたら、選手の意気込みは違っていたでしょう。(韓国選手に負けずと頑張ったでしょう)

 

更には、韓国/イタリア戦でトッティがレッド・カードを出されていなかったら、トルシエ監督の評価はどうなっていたのでしょうか?

元ヴェルディ監督の松木氏は「こういう事は、結果を出してこそ評価されるもの」とトルコ戦の後テレビでのたまわっていました。

 

“一番強いチームがいつも勝つわけではないのがサッカー”と言って1次リーグで一勝も出来なかったフランスチーム、”“サッカーというものはこういうものさ”と言って、予選草々に去っていった優勝候補ナンバー1のアルゼンチンチーム、これらのチームを松木氏はどう評価するのでしょうか?

 

ヒデインク監督は1年半で、トルシエ監督が4年かけて築いた以上の成果を挙げたと、マスコミは書き立てますが、7月5日の朝日新聞で、韓国主将・洪明甫の次の発言を載せています。

……韓国が4強、日本が16強という結果に終わったが、日本との差は二つあったと思う。一つは国民の声援に報いようという気持ちで、もう一つは体力だろう。トレーニングは本当にきつかったが、韓国選手は肉体がもともと強く、耐えられたのかもしれない。また監督はトレーニングする理由を説明してくれた。監督を信じ、ついていけた。

……今回の代表選手はKリーグに参加せずに代表合宿への専念が認められ、長い期間、準備ができた。これはKリーグ発展のためには良くないことだ。大きなことのために小さいことを犠牲にするのは韓国スタイルではあるが……。今後の問題点だろう。

 (「国民の声援に報いようという気持ち」で戦った韓国チームと、要となる選手(中田英寿)が「これからの試合は、楽しんでプレーしたい」旨を発言してしまった日本チームでは、その戦いの結果は全く異なるのは当たり前です。)

日本チームの体力強化の必要性をトルシエ監督が感じていたとしても、洪明甫が語る「トレーニングは本当にきつかったが、韓国選手は肉体がもともと強く、耐えられたのかもしれない」というトレーニングをJリーグの日程を消化しつつ実施できたでしょうか?

 

 更に、マスコミはトルシエ監督の凶暴とも思える選手達への指導風景をテレビなどで報道して非難していましたが、今の日本の若者への指導方法と、韓国民からの重圧を一身に受け、中田英寿のような個人主義が一切通用しない韓国の若者への指導方法がある程度異なっても致し方ないのでは?

 

トルシエ監督によって日本が16強まで進めたのに、ヒディンク監督によって韓国が4強に進むや、日本のマスコミには、一斉にヒディンク監督賛歌が巻き起こりました。

なんだかこのマスコミの状態からは、餌を口にくわえて橋まで来た犬が、川面に映る自分の餌が欲しくなって、餌に向かって吼えてしまった為に、口にくわえていた大事な自分の餌を川の中に落としてしまったというイソップ物語を思い出します。

 

トルシエ監督は、日本における「サッカー・マスコミの後進性」を嘆いていました。

それは、今まで述べてきたサッカーそのもの以外にも、次のような点など、私は色々気になりました。

 

1)日本のマスコミは、4年間も日本に滞在していて日本語をまったく覚えようとしないトルシエ監督を非難されていますが、逆に若い選手達こそが、中田英寿のように、英語を或いはイタリア語を覚えるべきではないでしょうか?

それによってトルシエ監督が期待する「若手の海外への飛躍」がより有効に成し遂げられるのではないでしょうか?

 

2)静岡県袋井市「葛城北の丸」を次のような理由から日本チームの宿舎としたそうです。

……雰囲気で気をつけたことは、日本のメディアを断絶することでした。だから、選手はテレビや新聞に全く接していません。毎日の新聞、テレビ、特にサーカスのようなテレビ番組を見ますと、そういう番組を見せないことは、本当に正解だったと思います。世界のプレス(報道)の皆さんには、ぜひとも日本のサッカー番組を見ていただきたい。今回の(サッカーの)W杯はスポーツです。W杯の貴重な面や、本当のサッカーというスポーツを伝えるのが大切なのです。

ところが、マスコミは、「ホームで戦うメリットは、日常生活の延長線上でゲームを行える事であって、選手達は、マスコミの人間や友人達と気軽に話したりする事で気を紛らすことが出来るのに……」と書き立てていました。

自国でのW杯開催そしてその試合への参加という、一生に一度の体験を日常生活の延長に埋没することを支持する日本のマスコミを私は嫌悪します。

マスコミの主張通りであったら、マスコミがもてはやす「選手達の自主的なフラット3の変更改革」は生まれなかったでしょう。

この成果は、サッカー以外にやることのない宿舎での話し合いから生まれた成果でもあるのですから。

 

事実、W杯終了後に戸田和幸は次のように語っている事実をマスコミの方々はどう反省されますか?

 緊張とか、そういったものの連続だった。もちろん自由のきかない生活がベースだったので、多少不自由な面もあったが、チーム全員が一丸となって、勝利に向かうという意識で生活のすべてを行ってきたので、それが結果にもつながった。そんなに生活が不自由に感じることもなく、早かったなという印象。

 

更には、カメルーン・チームなどで有名になったキャンプ地での地元民との交流については、マスコミは次のように書きます。

 「ファンサービス」という大きな課題も見つかった。磐田合宿では、限定した子供たちと1度だけ交流会を行った。しかし、一般の人に練習を公開したり、交流する余裕はなかった。「公開しない分、いい試合をする」という岡野会長の姿勢は、アマチュアの域を出ていなかった。海外のチームは市民との交流とW杯を一体化していた。「いい試合をして交流もする」のが本当のプロだった。

地元チームが海外チームと同じ事を行う必要はないでしょう。

日本チームは、日ごろJリーグの活動の中などで、ファンとの交流に力を注げばよいのです。

海外チームは、これから100年も経たなければ訪ねて来ないのです。

そして、彼等は、「時差ぼけ解消の軽い体慣らし期間」に市民との交流が可能なのです。

地元チームには、「公開しない分、いい試合をする」という岡野会長の姿勢が必要なのです。

(ただ余りの緊張感を一寸緩めるための交流会はそれなりの効果もありましょうが。)

 

 ここで“トルシエ監督から一番学んだ部分は?”との記者に対する、戸田和幸の発言を次に掲げます。

 学んだというか、鏡のように、おれは間違ってないな、ここは直さないといけないなというように、彼を通して自分を見ることができた部分はたくさんある。それはちゃんと正面からぶつかっていった結果だと思う。僕は思ったことは言うタイプ。それがプロだろうし、それが男だと思うので、そうやってぶつけ合った結果がこのようになっているのだろうから、そういうものの大切さや、コミュニケーションの大切さを学んだ。だから、ここまで日本が戦えるようになったと思う。

 

私はこの戸田の「トルシエ監督は鏡」説に納得いたします。

トルシエ監督を盛んに非難するマスコミは、トルシエ監督の鏡に映った己の心の貧困さを書き立てているように思います。

 

この「トルシエ監督の鏡に映った己の心の状態」の変化を端的に表している好例を、

週刊文春74日号に掲載された「川口能活独占告白(僕がトルシエに使われなかった理由)」の中の、GK川口能活の心の移り変わりに見ることが出来ます。

(貴重な告白などで、随分長く引用しましたが、私が施した下線部分だけでも拾い読みしてください)

……集合した直前合宿初日の練習から、僕はトルシエに怒鳴り散らされた。理由は記憶に無いほど些細なことだった。でも、僕がトルシエの怒りのスケープゴートにされるのかな、とは覚悟していた。ベルギー戦まで時間が無いし、監督が選手個々を注意する余裕も無い。チームに緊張感を与えるためには、誰か一人が怒られ役になるというのは、チームスポーツでは良くあることだ。若い日本代表の中では、中堅の僕などが適任なんだろうなとは自分でも思っていた。だから、どんなに理不尽「なことを言われようが「ハイ、ハイ」という感じで受け流してきた。

 しかし、それが何度も続くとどうもトルシエ監督には、スケープゴートというより、僕個人に対して何らかの苛立ちがあるように思えてきた。

凄い剣幕で大声をあげるし、怒り方に「遊び心」が無かった。

 ベルギー戦の三日前のことだった。シュート練習のセービングをしていると、いきなり「モンキー!」という言葉を投げつけられた

 彼は、僕が枠外に蹴られたシュートもセービングしようとしているのが気に入らなかったらしい。もちろん、僕だって試合中には枠外のボールは見送るが、練習中は感覚と身体を磨くためにシュートには出来るだけ反応し、運動量を増やしておきたいと考えていた。だから、自分のやり方を通そうとした

 するとまた「モンキー!」と言う言葉が飛んできた

「何だ、お前の動きは、サルか」。サル……。僕はこの捨て台詞を聞いた時、少なからずショックを受けた。重心を低く構えるというのは僕のプレイスタイルで、確かにサルに似ているかも知れないが、

……

その翌日には、さらに身の凍るような侮蔑用語が飛んできた。

    *

「オカマ!」。この言葉を投げつけられた時は、多少のことでは動じない僕も、一瞬意識が止まりそうになった

 ハイボールの処理をメインにしたミニゲームをしていた時のことである。昨日は動き過ぎて「サル!」といわれたので、その時は効率的な動作をしようと意識していた。試合の二日前に監督をあまり刺激するのは良くないと思ったのに加えて、GK三人だけが、他の選手達より一時間近くも前から練習していたので、少し疲労もあったのは事実。だが今度はそんな動きが物足りなかったらしい。

 

 「お前は、オカマか!」と侮蔑的とも言える言葉を浴びせられた。「サル」発言まではまだ我慢できた。しかしここまでヒステリックに怒りの矛先を向けられると、他の選手のモチベーシ∋ンを上げるために僕を狙い撃ちしていると考えるのは、どう善意に解釈しょうとしても無理があった。

この言葉を吐かれた時、僕のW杯は終わったと覚悟した。

僕は心を閉じようと思った

 ……

  昨年のコンフエデレーンョンズ杯で日本を準優勝に 導き、ベストイレブンにも 選ばれ実力を証明した川口とトルシエは、五月十四日のノルウェー戦までは蜜月状態だったように思える

 昨年秋のヨーロッパ遠征ではトルシエが川口に、中田英寿への対応についても相談していたくらいだ

         *

 僕の失敗は、トルシエに信頼されていると錯覚したことだと、今になって反省する。

僕がポーツマスで不遇の時を過ごしている時にはメディアを適し「いい経験をしている」とメッセージを送ってくれたし、三月末のポーランド戦で五カ月ぶりに会った時も、いの一番に「グッド・エクスペリエンス」とハグされた

 ポーランド戦は、実戦から遠ぎかって二カ月半も経っていたので不安があったけど、完封することが出来た。それは試合前日のミーティングの際にトルンエが僕を称した「イギリス人GK」という言葉が、自信になったからだ。

 不運は四月四日に始まった。僕はポーツマスで練習中に左膝後十字靭帯を痛めてしまったのだ。結局これを、今回のW杯まで引きずる結果になってしまう。もちろん、医者の診断ではW杯までには十分に治るはずだったし、僕自身もそれほどの怪我だとは考えていなかった。

 四月下旬に帰国し、病院で再検査したところ、前十字靭帯にも傷があることが判明した。しかしその翌日から福島合宿に合流。そこでちょっとしたトラブルが発生した。フランス人フィジカルコーチが僕の膝に電気マッスルをかけようとしたので断固拒否したのだ。もちろん、リハビリのためというのは十分に承知していたが、僕の筋肉は食事療法と特殊なトレーニングで作り変えてきたので、機械的な措置で筋肉に刺激を与えたくなかったからだ。

 僕のこんな行為はすぐにトルシエに報告されるとは知っていたが、それでも僕の身体は僕にしか分からないところがある。他のことには妥協できても、身体に関しては譲れなかった。協調性が無いと判断されても仕方がない。

 結果的にこの信念は最後まで貫き通すべきだった。だが、あまりにも頑固者と思われるのも心外だったし、自分にも焦りが生じてきたのも手伝って、五月二日のホンジュラス戦の前日に、トレーナーに身を任せ、リハビリのためのPNFをやった。だが、その最中に今度は半月板を傷つけられてしまったのだ。その時から左膝に何か異物が入っているように感じ、痛みは下肢にまで広がった。ただこの事実は、口外しないと決めた。

 監督は相変らず僕に気を使ってくれていた。福島合宿が終わると僕だけ実家に帰してくれたし、五月のヨーロッパ遠征中も顔を合わす度に「膝はどうだ」と声をかけてきた

 

白い魔術師とシヤーマン

       *

 トルシエは、アウェーでの総決算となるノルウェー戦まで川口を正GKと決めていたと言われる。だが予想外にも○−三で惨敗。トルシエ戦術の生命線でもあるフラット3の弱点をメディアにこぞって指摘されたために、ハイボールに弱点があるという川口に負けの原因を見出そうとした。しかしこの試合での失点は、オフサイドトラップの裏をつかれたことなどが原因で、川口はハイクロスをパンチングで難なく逃れている。

       *

結局僕は、ノルウェー戦のただ一戦のみで、これまでの四年間をトルシエ監督に判断されたのだ。ノルウェー戦はたしかに全員のパフォーマンスが落ちていた。合宿、親善試合が続いて疲労がピークだったということもある。しかし一番の原因は、トルシエに身内の不幸があって試合直前までフランスに帰っていたことだと思う。裏を返せば、それだけトルシエのワンマンチームだったとも言える。

 トルシエがチームから居なくなった途端、日本代表にまったりした空気が流れた。結局トルシエの指令がないと、何をやっていいのか分からないチームになっていたのだ。

トルシエはチームの和ということを金科玉条にし、選手の個性というのを押さえてきたから仕方が無いが、ピッチで闘うのは選手。ちょっと危険な状況かなと思った。

 たしかに、W杯で日本がベスト16に入れたのは、トルシエの手腕だとは思う。彼は選手をその気にさせるのが上手い。ミーティングなどで選手に暗示をかけてしまうのだ。

例えばベルギー戦の前には「いよいよ、君たちの実力を発揮できる時が来た。君たちは確実に成長している。能力さえ発揮できれば、最強のチームになれるんだ」。

 言葉だけ捕らえれば、際立ったセリフでもないと思うかも知れないが、そこに身振り手振り、表情、感情が入る。

彼がコートジボアール時代に「白い魔術師」と言われた理由もなるほどと頷けた。しかも、日本ではフローラン・ダバデイという強力な武器を手にした。通訳のフローランはフランスの有名な映画監督を父に持ち、小さいころから女優や俳優に囲まれて育ったせいか、演技は抜群。神のお告げを伝えるシヤーマンの如く、トルシエの言葉を倍加させ、選手達をすっかりその気にさせてしまうのだ。

 だからトルシエにとっては若い選手の起用がより有効だった。若いというのは純粋さの裏返しでもあり、暗示にかかり易いとも言える。ただ、僕はトルシエマジックにかかるには、少しばかり世間を知り過ぎてしまっていた。

 

 その一方で、トルコ戦の結果もまた、トルシエ体制だからこその結末といえた。トルシエはベスト16が日本代表監督としてのミッションと考えていたし、事実その先は「ボーナス」と公言していた。監督がそう考えている以上、それは選手にも伝播する。

        *

 ロシア戦の前夜に川口が監督に自分を起用してくれるように懇願した、と一部メディアに報道されていたが、そんな事実は無い。W杯期間中、川口は結局一度もトルシエと口をきくことはなかった。

        *

 ベルギーに引き分け、ロシア、チュニジアと勝ち進むうち、「北の丸」の雰囲気も活気を帯びてきた。その一方で僕は、自由時間に部屋に閉じ籠っている時間が多くなった。僕が彼らの輸に入ると、どうしても気を使わせてしまう。GKは途中の交替がないため、試合に出られない僕に遠慮がちに接するし、僕は僕で彼らの気遣いにまた気遣う.気遣いの堂々巡りをするよりは、なるべく存在を消してしまった方が、彼らも伸び伸び出来ると思ったからだ。

 でも、部屋の中で一人で長い時間を過ごすのは地獄だった。テレビを見る気にもなれないし、MDを聞く気にもなれない。試合に出られない悔しさだけが、頭の中で渦巻いていた。二十六年間の人生で、これほど時間が過ぎるのが遅いと感じたことはなかった。眠れない日が続いた。

一位で決勝トーナメント進出を決めたチユニジア戦終了直後、選手控室で僕が帰り支度をしているとトルシエとフローランが近寄ってきた。

「君の経験が必要な時が必ず来る。そのコンディションをキープしておいて欲しい」。

不意打ちを食らったので肯いてしまったが、このセリフを聞いたとき、日本代表が決勝トーナメントを闘うのは難しいと思った。僕に声をかけると言うことは、トルシエの気持ちに余裕が生まれた証拠。この満足感が選手に伝播し、集中力が崩れてしまうのではないかと危惧したのだ

 選手達は、トルコに敗れた後「ずっと親善試合のようだった」とか「いまいち何かが足りなかった」「満足感が湧かない」と言っていたが、それもむべなるかなと思う。やはり最後まで日本代表は、トルシエにコントロールされたチームだったからだ

 しかし、上位進出したチームを見ると例外なく、選手のパーソナリティが確立している。監督はその個性を活かしながら、上手く機能させているところが強い。日本代表も四年後にはそんなチームを目指せたらいいと思う。

 今回、僕がゴールマウスを守れなかったのは、トルシエを黙らせるだけの突出した実力がなかったせいだ。部屋の中で葛藤しながら見つけ出した答えは、やはりドイツのカーンのような圧倒的な力をつける必要があるということだった。そうなれば、誰が監督になっても関係ない。……

 この川口能活の告白文を通読した時は、トルシエ監督シンパの私も吃驚しました。

この告白に書かれている川口に対する心使いを、この号の前の文春にも、川口は紹介していたのですし、他に宮本や稲本達が不調の際は、トルシエ監督は彼らの自宅に電話して、彼らを勇気付けていた逸話も聞いていましたから、今までのトルシエ監督美談はなんだったのかと驚きました。

でも、もう一度読んでみますと、おや!と思ったことがあります。

それは、この告白文のキーワードである、「モンキー!」と「オカマ!」です。

先ず、「モンキー」の部分を再度掲げます

シュート練習のセービングをしていると、いきなり「モンキー!」という言葉を投げつけられた

 彼は、僕が枠外に蹴られたシュートもセービングしようとしているのが気に入らなかったらしい。もちろん、僕だって試合中には枠外のボールは見送るが、練習中は感覚と身体を磨くためにシュートには出来るだけ反応し、運動量を増やしておきたいと考えていた。だから、自分のやり方を通そうとした

 するとまた「モンキー!」と言う言葉が飛んできた

「何だ、お前の動きは、サルか」。サル……。僕はこの捨て台詞を聞いた時、少なからずショックを受けた。重心を低く構えるというのは僕のプレイスタイルで、確かにサルに似ているかも知れないが

 トルシエ監督の使った「モンキー!」を、川口は、赤字に変えて抜粋した部分「重心を低く構えるというのは僕のプレイスタイルで、確かにサルに似ているかも知れないが」と感じ取ったようですが、トルシエ監督は青字抜粋部分の「彼は、僕が枠外に蹴られたシュートもセービングしようとしているのが気に入らなかったらしい」を表現したかったのだと私は思います。

その意味は、餌(ボール)と見れば何にでも手を出す猿(モンキー)の意味をトルシエ監督は込めて、即ち「枠外のボール」を見送れ!と怒鳴っていたのだと思います。

(トルシエ監督は、GKを誰にするか迷っていて練習の仕上がり状況から決定したいとも思っていたのではないでしょうか?その際に、ゴールマウスに入ろうが入るまいがお構いなしに手を出してしまっては、選手の調子を見極めることが出来ないと思います。)

 

 次の「オカマ!」ですが、この部分も再度掲げましょう。

「オカマ!」。この言葉を投げつけられた時は、多少のことでは動じない僕も、一瞬意識が止まりそうになった

 ハイボールの処理をメインにしたミニゲームをしていた時のことである。昨日は動き過ぎて「サル!」といわれたので、その時は効率的な動作をしようと意識していた。試合の二日前に監督をあまり刺激するのは良くないと思ったのに加えて、GK三人だけが、他の選手達より一時間近くも前から練習していたので、少し疲労もあったのは事実。だが今度はそんな動きが物足りなかったらしい

 

 「お前は、オカマか!」と侮蔑的とも言える言葉を浴びせられた。「サル」発言まではまだ我慢できた。しかしここまでヒステリックに怒りの矛先を向けられると、他の選手のモチベーシ∋ンを上げるために僕を狙い撃ちしていると考えるのは、どう善意に解釈しょうとしても無理があった

この言葉を吐かれた時、僕のW杯は終わったと覚悟した。僕は心を閉じようと思った

ここでの「オカマ!」も、川口とトルシエ監督では解釈が異なっていると思います。

川口は「他の選手のモチベーシ∋ンを上げるために僕を狙い撃ちしていると考えるのは、どう善意に解釈しょうとしても無理があった」との告白通りに、「「お前は、オカマか!」と侮蔑的とも言える言葉を浴びせられた」と受け取っていますが、「GK三人だけが、他の選手達より一時間近くも前から練習していたので、少し疲労もあったのは事実。だが今度はそんな動きが物足りなかったらしい」との箇所から推測すると、川口は、何本も或いは何本かのシュートを許していたのではないでしょうか?

このシュートを許す(ボールを入れるのでなくて、入れさせる)と言う事は、ボールを男性の×××と考えれば容易に推測できます。

 ですから、トルシエ監督は「しっかりゴールを守れ!」と怒鳴っていただけなのでしょう。

このような事は、通常状態の川口ならいとも簡単に理解できて、(たとえ表現が下劣と思えても)軽く受け流す事が出来たのだと思います。

更には、次の抜粋文を考えてください。

一位で決勝トーナメント進出を決めたチユニジア戦終了直後、選手控室で僕が帰り支度をしているとトルシエとフローランが近寄ってきた。

君の経験が必要な時が必ず来る。そのコンディションをキープしておいて欲しい」。

不意打ちを食らったので肯いてしまったが、このセリフを聞いたとき、日本代表が決勝トーナメントを闘うのは難しいと思った。僕に声をかけると言うことは、トルシエの気持ちに余裕が生まれた証拠。この満足感が選手に伝播し、集中力が崩れてしまうのではないかと危惧したのだ。

 このトルシエ監督の「君の経験が必要な時が必ず来る。そのコンディションをキープしておいて欲しい」の言葉は、“今までの、1次リーグ戦、次のトルコ戦は、相手のFWは背が高く、空中戦を挑んでくるので、より背の高い楢崎を使ったけれども、トルコを破った後のセネガルはデュファイなど足技得意の選手たちの攻撃に対処するために、川口の活躍を期待しているから、その準備を怠らないようにしてくれ”との川口へのメッセージだったと思います。

ですから、川口が解釈した「僕に声をかけると言うことは、トルシエの気持ちに余裕が生まれた証拠……」は私には大変疑問です。

 

このように同じトルシエ監督の言葉が、まるで、戸田のいう「トルシエ監督の鏡」の働きをして、トルシエ監督シンパである私の心持と、W杯に出場しなかったらポーツマスでの苦行の意義を失うと焦る川口の心を映し出すのではないでしょうか?

ですから、アンチ・トルシエ監督或いは、アンチ・トルシエ監督で、新聞記事を飾り売り上げを伸ばそうとたくらむマスコミなどが、トルシエ監督発言の真意を正確に伝えるとは信じられないのです。

又、万一川口告白がトルシエ監督の真意をえぐっていたとしても、今私が書いたように川口は解釈してトルシエ監督に対処する大きな心を持つことが、「ドイツのカーンのような圧倒的な力をつける」事と共に必要とされるのだと思います。

そうして、心技体すべて充実させることで、「誰が監督になっても関係ない存在」に川口はなれるのだと思います。

 

敢えて付け加えますが、トルシエ監督の「モンキー!」「オカマ!」発言を、W杯の圧倒的なプレッシャーに負けないように、川口に「なにくそ!トルシエ監督を見返してやるぞ」との心意気の芽生えを期待しての発言と、川口は解釈すべきではなかったのでしょうか?

 

Sportsnavi.comに記載されている、ドゥンガの日本選手への助言に川口も心新たにして耳を傾けるべきではないでしょうか?

中田の例を見てみよう。
 イタリア人は、中田が移籍した当初、彼の実力がイタリアリーグで通用すると思っていなかっただけに、中田の活躍は人々にとって大きな驚きであった。
 中田の前に現れた最初の壁は「どうせ日本人なんて大したことないし、技術的にも劣っている」という偏見だった。しかし彼は立派にプレーしてゴールを決め、その実力を証明した。また、中田自身もイタリアサッカーに慣れていくにしたがって、イタリアの習慣を理解することの重要性に気づいただろう
 中田はよく努力し、また、ヨーロッパでサッカーをプレーする自分の目的と、プロとしての自覚をはっきりと持っていた。従って彼はいかなる困難を前にしても負けない覚悟ができていたのである。

例えば、試合後半になってやっと出番を与えられようと、それで彼が憤ることはなかった。イタリアリーグに残るために、中田にはすべてを受け入れる心構えがあったのだ。それが彼を大きく成長させ、成功へと導いたともいえる。

 

世界のサッカー界で活躍して、ジュビロ磐田にて、韓国選手以上のガッツを剥き出しにしてゲーム中も仲間の選手たちを怒鳴り散らし、私たちに大きな感動を与えてくれたこのドゥンガの言葉を川口は噛み締めて貰いたいのです。

 

そして、その理由は分からないけれど、中田英寿は変わった!変わった!と書きたてているマスコミ人も、このドゥンガの言葉に耳を傾けたらいかがですか!?

(中田英寿がコンフェデレ−ションズカップの決勝戦を前に、トルシエ監督の懇願を無視してローマへ帰った事件などで代表される「中田英寿とトルシエ監督の争い」等というのは、中田英寿の成長過程の心と彼の卓越した技量とのアンバランスが招いたトラブルと捕らえるべきではありませんか?)

 

多くの日本サッカー関係者評論家の方々は、次なる6月26日の日本サッカー協会強化推進本部木之本興三・副本部長の発言をどのように受け止めるのですか?

……若い選手の技量を見て、うまいと思い育てたのはトルシエの最大の功績。冷静に見られる判断力があった。強固な意志も持っていた。彼はそうとう(周囲から)言われたが、自分の信念は曲げなかったから。よく聞いてみれば、グラウンド内での不満はあまりなかった。……

 私には、この発言は大変簡単ではありますが、トルシエ監督を実に的確に評価されていると思います。

そしてこの評価通りのトルシエ監督であったからこそ日本チームは、今回のW杯で十分な活躍が出来たのだと思います。

この木之本氏によって評価されたトルシエ監督の特質は大変貴重で得難い特質である事であるのに日本人はたいした評価をされないようです。

そして、今の日本に欠けている事に、今の日本に必要な事に、日本人は気がついていないようです。

 

「トルシエ監督がこれで監督を退任するようだが、トルシエ監督にはどういう思いがある?」との記者にたいする戸田和幸のコメントを考えてください。

 オリンピックの時からいろいろありました。ただ、そういうことがあった時に、逃げずにぶつかっていったという自信もあるし、そういう中で自分の足りないところとか、自分が無くしちゃいけないものとかを見つけてここまでやって来れたので、監督自身から見習うところはたくさんあった。自分を信じる強さだったりとか、自分を貫く強さ監督から選んでもらったという意識はない。(W杯出場は)自分で勝ち取ったもの。でも、一緒に仕事をやれてよかったなと、今は思う。いろいろなものをまた発見できたなと思う。

 監督自身から見習うところはたくさんあった。自分を信じる強さだったりとか、自分を貫く強さ」と発言する戸田和幸は、見事に木之本氏によって評価されたトルシエ監督の特質を身に付けようとしてきました。

ただし、「監督から選んでもらったという意識はない。(W杯出場は)自分で勝ち取ったもの」と発言する戸田和幸は残念ながらトルシエ監督の特質「若い選手の技量を見て、うまいと思い育てたのはトルシエの最大の功績。冷静に見られる判断力」が如何に貴重で得難いものかに気が付いていないようです。

このトルシエ監督の特質は「伯楽」としての大事な特質なのです。

トルシエ監督という名伯楽の存在なくては、単なる「荒馬」「じゃじゃ馬」でしかなかったであろう事を認識し、トルシエ監督への感謝の気持ちを持ち続けるべきです。

 

 「日本人は独創性にかけている」とマスコミは書き立てますが、独創性に富んだ日本人、独創性を発揮させることが出来るであろう日本人は沢山存在しているのです。

この不況の中、上長とそりが合わない等の理由でリストラされてしまった方々、学歴のない方々にも名馬は居られる事でしょう。

ただその貴重な存在を見抜ける人材が皆無に等しいのです。

○×問題の成績で得た学歴、提出論文の数、担当部署の営業成績等全く機械的にしか日本人は評価されていないのです、出来ないのです。

この評価システムから独創性のある人材を掘り出すことが出来ますか?

 

 名馬は、伯楽があってこそ、その真価を発揮できるのです。

日本には名馬は沢山埋もれている筈です。

ただ残念ながら、名伯楽が全く居ない事が日本に悲劇なのだと思います。

又居ても、その存在が評価されないことです。

更に、名伯楽たる為には「名馬を見分ける目だけでなく」「名馬を育て上げる能力」が必要とされます。

そして、名馬と伯楽は違うのです。

ですから、トルシエ監督の選手時代の実績の無さを非難するのマスコミは間違っているのです。

同じマスコミでも、野球の世界では「名選手名監督ならず」との名言の下に論を張るくせに、トルシエ監督のこととなると、自分たちの名言を忘れるのは何故でしょう?

 

最近、優れた慧眼を持ちながら伯楽となれなかった実例をプロ野球の前阪神監督の野村氏に見ることが出来ます。

野村氏は「選手に長所を褒めるのは照れ臭くもあり、又、長所と認識するのも難しいので、それよりも欠点のほうが容易に、又、誰の目にも共通として認めることが出来るので、欠点ばかりを選手に告げていた」旨をテレビで語っていました。

この結果、選手達は進歩するどころか、萎縮してしまったのです。

若し、ライバルの長嶋氏の出鱈目な日本語を其の都度マスコミ等が批判していたら、彼の口は貝となり、彼の底抜けに輝く天性、本業の野球人としての素質は生かされなかった筈です。

更に、マスコミは長嶋氏の真の実力がどの程度かが分からないまま、新聞を売らんかな、テレビの視聴率を上げんが為、長嶋氏を持ち上げることによって彼は名馬どころか天馬になってしまった事にやっかむだけでなく、褒めることの重要性に野村氏は気が付くべきだったのです。

 

 トルシエ監督の4年間、彼の批判ばかり繰り返してきた私の大嫌いなサッカー評論家(?)セルジオ越後氏は、“トルシエの後の監督を選択する際には、トルシエの長所短所を徹底的に洗い出して、其の短所を埋めるべき人材を新たな監督の選択基準とすべき”等とテレビで語っていました。

この4年間トルシエ監督の長所を評価できなかったセルジオ越後氏をはじめ、サッカー関係者にトルシエ監督を正当に評価できるのでしょうか?

欠点短所を挙げていたら、結局は前阪神監督の野村氏の二の舞となるだけです。

結局は、サッカー関係者に出来ることは、先に掲げた松木安太郎氏のように結果実績でしか評価することが出来ないと思います。

(それに、神様ジーコが監督になったら、セルジオ越後氏はトルシエ監督に行って自ら其の効用を勝手に吹聴している「辛口の批評」が、ジーコに対しても行えるのですか?)

 

 更に、マスコミの関係者は、大リーガーのイチローを“インタビューに応じない”と非難しますが、インタビューをするならインタビュー者がイチローの真の評価が出来るほどの人材でなくてはならない筈です。

でなくては、イチローに失礼ではないですか!?

そんなインタビュー者が今のマスコミ界に何人居られますか?

そうです、トルシエ監督に対して真の評価が出来るマスコミ人が日本に何人居るのですか?

真の評価が出来るマスコミ人はある意味での伯楽なのです。

 

 いくら言論の自由といっても、日本中に出回る膨大なマスコミ紙面を埋める役割として登用される大部分の方々が、マスコミ人との金看板の下で、好き勝手に他人を評価することが許されるのでしょうか?

各界で真の人物として活躍できる方々の人数たるや、野球ではイチロー、スピードスケートの清水宏保などに代表される選手のように少数でしかありません。

実業界でも、どんなに切望されていても本田宗一郎氏は何人も出て来ないのです。

(ですから、日本人はカルロス・ゴーン氏にエールを送るのです。)

マスコミの分野でも、然りだと思います。

マスコミ人は、「赤信号みんなで渡れば怖くない的な」自説モドキを単に垂れ流すことなく、互いに激論を交わして、切磋琢磨して欲しいものです。

(決して、売れるから正論と言うことは絶対ありません。それは、視聴率に支えられて来たテレビの現状から歴然としています。)

 

(補足:1

選手達に一番近くで応援できるせきを多量に空席にして寒々としたスタンド風景にしてしまったJAWOCの責任を何故誰も糺さないのですか!?

 

(補足:2

 

 日本には私の大好きな日本人が、少なくとも1000人はいる。

テレビでも伝えていましたが、日刊スポーツには、次のような記事が載りました。

トルシエ氏帰国、ファン1000人が見送り

 前日本代表監督のフィリップ・トルシエ氏(47)が14日、成田空港から帰国の途に就いた。空港には離日のうわさを聞きつけたファンが続々と詰めかけ、最終的には約1000人が見送った。同氏が現れると「トルシエ・ニッポン」コールが自然発生。付き添ったドミニク夫人が感激の涙を流した。ファンから花束を受け取ったトルシエ氏は「ありがとう日本。バイバイ」と日本語であいさつ。「日本を離れるのは悲しい。忘れられないことはたくさんある。一番の思い出はW杯の決勝トーナメント進出を決めた大阪の試合(チュニジア戦)だ」と振り返った。最後は、日本式にお辞儀して、飛行機に乗り込んだ。……

 マスコミがトルシエ氏を盛んにバッシングをした後でも、1000人もの方々が「トルシエ・ニッポン」コールをして、トルシエ氏を成田空港で見送られたとの記事に接し、トルシエ夫人以上に、感激の涙が流れてきます。

マスコミは、「トルシエは日本で莫大な金を稼いだのだから、ある程度の功績ぐらいは残して当然」の如き記事を書きますが、お金と情とは別物です。

 

 最近の特に悪い風潮は、お金を出せばなんでも教わる権利があると錯覚していることです。

その悪例の最たるものの一つは、大学生ではないでしょうか?

授業料を払っているんだから、大学では又教室では、学生はどんな態度も許されると勘違いしているようです。

 

 そして、又、若者のみならず、会社を倒産まで追い込むような野放図な経営をしておきながら、退職金をがっぽり懐に入れてしまう業突張りの親父が沢山紙面を賑しています。

 

 トルシエ氏はお金は戴いたかもしれませんが、沢山のものを日本に与えてくれたのです。

そのことに感謝しなくては、日本人は国際社会の一員としての資格があるのでしょうか?

 

1000人の方々本当にトルシエ氏を暖かく見送って下さって有難う御座いました。

 

 
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